眠れる夜の一言 二夜

ギター少年だった私は長渕剛を筆頭に、尾崎豊、中島みゆき etc

 

天才たちのソウルをそのままトレースし毎日のように歌った。

 

やがて自分で曲を書くようになって行くのだが。

 

だから、世間で言われているように、私は尾崎豊を代弁者だとは思って居ない。思ったこともない。

 

彼は当時の私にとって共感者であった。

 

私は33歳の時、彼が曲中で疑問を呈している事柄のすべてを解き明かした。

 

そして、その考え方、感じ方自体が自分自身を苦しめている事を知った。

 

それからそれらの一般人にも理解出来るような言葉に変換する練習をした。

 

今もヘッドフォンからは彼の声が聞こえる。早すぎた一人ぼっちの少年の歌声。その繊細な心の揺れ動きが手に取るように分かるから、世間とのズレに酷く疲労してすり減ってしまう心の状態も分かる。

 

だけど、もう良い。どんな死に方だって、どんな生き方だって。優しさが、愛がこういうものだと信じて疑わず、私たちはただ進むしかない。

 

だって世の中は不誠実で満ちているから。
自分たちが不誠実になってしまったなんて、感じて居ない人のほうが多いのだから。